家の近くの商業施設が取り壊されている。
噂によると集合住宅に建て替えられるらしい。
まだ建って20年も建っていない、コンクリート打ち放し造のいかにもなコマーシャリズムを小さな我が町に振りまいていた建物だった。
慌ただしい建て替えは昨今の住宅バブルによるものだろう。
現場にはクレーンが二本、延びている。
工事は休みのようで瓦解したコンクリートのアウトラインがこの日は放置されている。
コンクリートの造形物から感じるのは人々の金銭欲の塗り重ねによる慌ただしさだ。
美しさはない。
20年前に初めて目の当たりにした端島、通称軍艦島のコンクリート塊に落ちる一条の光の美はそこにはない。
寂の概念は見るもののうちに自発的に現れると思っていた。
正確には違う。
人間が作り出したものも含めた自然の中での人の営為がシナリオとなり、物質化する。
物質の崩壊過程はそのシナリオのエピローグだ。
つまり商業主義の渦中に飲み込まれたコンクリートには、シナリオの刳みがそのまま表現されている。
醜悪なコンテンツとしての廃墟。
端島の炭坑労働者の経済的な夢の果ての廃墟と、アブストラクトな金融操作の果ての廃墟は違う。
寂びたる瓦解の集積が文化の痕跡になり、美は精神に宿る。
美しい国の廃墟は、きっと美しい。
